高齢者だった父と動物の絆

動物と暮らすことによる高齢者の精神身体健康、そして社会的挑戦

約1カ月前にこの獣ハウスに一緒に住んでいた高齢の父が突然死んだ。父は

15歳かそこらの時に、近所にいた猫と遊びたくて近くへ行ったと言う。猫のいるところまで行くと、近くに咳を酷くしていた人がいて、その人が結核だったことを後から知った。結果、父は結核にかかり、当時の医療技術から肺をつぶすしかなかったそうだ。父は、少年時代に5年近く病院に入院し、それ以後は片肺のみで行きのびた。私は子供のころから、犬、猫を含む小動物と暮らしていた。父が私に動物をもらったり、買ったりしてくれた。


ここ14年父は香港に住む私と一緒に暮らしていた。しかし、肺が弱いため、いつも入退院を繰り返していた。父には友だちや連絡を取り合う家族がいなかった。孤独な生活だったが、我が家の犬たちと仲良くしていた。特に梅が去勢手術が終わった生後7カ月ごろから目に入れても痛くないほどにかわいがっていた。

「梅が暑がっているからクーラーをつける。梅が寒そうだから、毛布を掛ける。梅が散歩から帰って暑いだろうから、水の中に氷をいれる」、と自分の健康を顧みずに梅をかわいがっていた。他にも我が家にはたくさん保護犬猫がいる。だから、梅ばかり贔屓にしていることで私は父と大喧嘩をしていた。おやつを食べる犬は最多時で13匹、父はおやつを挙げる順番を忘れないため、犬たちの名前を書いて棚に貼っていた。動物は自分がもらうおやつの回数が少ないと分かる、となんども父に言って聞かせていたからだ。2年前に梅が緑内障を発症し、治療の甲斐なく、最終的に全盲になってしまった。その時、父はよく使えないコンピューターのネットで病気のことを必死に勉強していた。


夜寝るときは、緑内障で完全に盲目になってしまった梅はベッドは父のベッドの下に、そして父のベッドの半分以上でミーシャとノエルという中型犬が一緒に寝ていた。父は、酸素生成機を24時間使用していたため、部屋の中に熱が溜まった。だから、犬が暑いからクーラーをつける、犬が酸素生成機の音がうるさいから、寝るときは酸素を吸入したくない、といろいろ面倒なことを言った。



父が入院すると、梅とはモバイル電話で会話していた。父が退院すると、犬たちは大騒ぎで、まるでセレブを家に迎えたかのような歓迎ぶりだった。

体の弱い父に体力をつけさせるのは、梅を理由にした。「梅と一緒に毎日散歩続けたいでしょう。お父さんがいなくなったら、梅が可哀そうだよ」と言えば、必死に体を動かしていた。

 

世界には高齢者が動物と暮らすことでの精神的健康の改善のデータが多く発表されている。人間の言葉を使って会話せずとも、体温の暖かさ、目を合わせて

コミュニケーションをとり、疑いのない真の愛情で結ばれるといった関係は、高齢者のみならず動物と暮らす人間にとっては、かけがえのない命の源となっている。中高齢の人々には積極的に動物を家に迎え入れてほしいと思う。自分以外の命を大切にすることが、自身の精神また身体の健康にもつながるからである。しかし、そう簡単にはいかない。

 

詳しく調べてはいないが、高齢者のみで暮らしている家に動物が一緒に住んでいるところは多くあると思う。彼らの心配事は、自分の死後、まだ生きている動物の家族の引き取り先である。実際に我が家にも高齢者が亡くなった後、安楽死されるか野に放たれるかの2択であった成犬が住んでいる。日本の知り合いが営む動物病院でも、生前犬猫と病院に通っていた飼い主が亡くなったことで、自ら何匹も引き取っている。


亡くならなくとも、高齢になり、老人施設に入らなくてはならないとき、今まで一緒に暮らしていた動物を手放さなければならない人は多くいるだろう。シェルターに運よく引き取られたとしても、成犬や成猫になればなるほど、引き取り手を見つける可能性はゼロに近くなる。一緒に暮らすことができる老人施設も数か所日本にはあるらしいが、動物のサイズや数、そして人間同様に高齢化するごとに直面する深刻な病への治療費や介護といった問題がある。だから動物受け入れ可能な高齢者施設の数は、増えていかないだろう。

では、どうしたら、このような施設を増やすことができるか。資金的な問題、人手の問題、そして私たちの動物の心理を含む福祉に関する理解が必要になる。

動物の命を利用し、自然を奪っている私たち人間。どうしたら人の心は変わることができるのか。


人間の欲で繁殖され、捨てられる動物の数はいつまでたっても減らない。警備のためと称して利用され、ろくに食べ物も与えられず飼い殺しにされ、プロジェクトが終わったら遺棄される犬たち、飲食関係の店からネズミの数を減らすために買われる猫たち。動物が捨てられる数、遺棄された後に子犬や子猫を産んで、自然の中の中で生きていき、運良ければ保護団体や個人に引き取られる。こういった環境が変わらないかぎり、行き場のない動物の数は減ることはない。子供を含む行き場のない人間だって星の数ほどいるのだから。

 

 

我が家では家族のメンバーは死によって入れ替わっているが、最大時には17匹の犬猫が住んでいた。老人の父は言った、「お前がなんで保護した動物を家に連れてくるんだ、人に利用されているんだ。また、新しく動物を迎えることで、今いる犬猫が可哀そうだと思わないのか」この言葉は、何度聞いたかわからない。

しかし、私は言った。「どこにも行くとこがないから、家に連れてくる。ここは一匹を守るための場所ではないし、私はこの考え方を変えるつもりはない。」

 

基金など作っても個人に寄付してくれる人はほぼいない。だから、運営資金は自分で作るしかない。そんな私を見て、父は私を心配していたのもあるだろう。

しかし、何とか生き延びている我が家の生活に慣れたのか、父は最終的にはすべてを受け入れ、たまにネットニュースなどで、動物虐待の話があると、信じられない人間があると私に話してくれた。


そんな父はもういない。動物は言葉に表さずとも、過去に見送った犬猫の仲間の経験から、父はもう戻ってこないと分かっているのだろう。もし、彼らが人間の言葉を話したら、何というだろうか。父はあっけなく死んでしまった。入院して12時間後に亡くなった。救急車に乗る前には、いつもの通りに犬におやつをあげ、頭をなでて、行ってくるよ、と家を去った。動物たちが惜しみない愛を父に与えたからこそ、かなり高齢になるまで、片肺で生きてこられたんだ、と私は信じている。

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